自らが受けたいと思う
医療と福祉の創造

湖山医療福祉グループの理事長であり
医療法人財団百葉の会の理事長でもあられました
湖山聖道先生が
旅立たれまして、
2021年9月13日で2年を迎えました。

湖山聖道
1928 - 2019
内科医として常に患者に寄り添いながら、経験を基に病院の経営再建へ参画。
その成功を収めた後、日本の地域に即した医療福祉サービスを展開。
日本の医療福祉業界の中心となるグループを息子・湖山泰成と共に創出し、
最期まで医師としての信念を貫き続けた湖山聖道。
その生涯を写真とテキストで振り返ります。

湖山医療福祉グループ並びに
医療法人財団百葉の会
湖山聖道前理事長の3回忌を迎えるにあたり

「命を助ける仕事は24時間365日。
1日といえども休めない。」
患者に向き合い、いついかなる時でも
患者のもとに駆けつけた医師でした。

グループの職員、保育室の子供たち、
そして繋がる全ての人たちに
分け隔てなく慈しみと
愛情を注いで下さりました。


聖道先生が旅立ち、丸2年。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

memory

東京大学医学部を卒業後、冲中内科に所属し、虎ノ門病院にご勤務されました。
政界人や財界人の主治医としてもその手腕を奮い、全幅の信頼を寄せられていました。
家族でドライブに出かける日曜日、出発前の早朝は病院に寄り患者の容体を診る。
銀座のクラブでの接待中も、水割り・お湯割りの薄いお酒のみを飲み、終わるとハイヤーで病院に寄り、当日入院・手術の患者を診る。
深夜も休日も趣味の時間も関係なく、「いかなるときも医師」としての確固たる信念を持ち、日々の生活を過ごされていました。
医師生活29年目になる夏、
経営再建を目的に銀座菊地病院の副院長として招聘されました。
自分は医師であるという想いから、経営には湖山泰成代表をご参画させ、病院からクリニックへの転換は成功。親子の取り組みが結実した瞬間でした。
更には、聖道先生の診療の専門が消化器・成人病であったことから、これから来る高齢者社会に目を向け、都会から地方へその裾野を広げていきました。
都会から地方へ。そして全国へ。
医療分野だけでなく介護分野へも参入し、常に地域の実情に即した
枠にとらわれない医療と福祉の創造を展開していきました。
晩年は「湖山リハビリテーション病院」にてお過ごしになりました。
都会から地方へ進出を果たした1施設目、想いが詰まった施設です。
日々、院内のスタッフにも、保育室の子供たちにも優しい目を向けて下さいました。
湖山泰成代表が病室に立ち寄っても「忙しいから早く帰りなさい」
「無理しないように」と
いつ何時も口から発せられるのは気遣い溢れるお言葉ばかりでした。
全ての人を大きな心で包み込んでくれた聖道先生。
別れの悲しみは深く、いつまでも私たちの心から消えません。
それでも、残して下さった多くの思い出を胸に前へと進んでいきます。